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イタリアの世界遺産!シエナ歴史地区へ行ってみよう!

今回ご紹介するのは世界遺産、「シエナ歴史地区」です。

皆さんはシエナ歴史地区についてご存じでしょうか。

シエナはイタリア中部の内陸部にある町の名前です。

中世には金融や交易を基に栄え、トスカナ地方の覇権をかけて近隣の町フィレンツェと争ったことで有名です。

そんなシエナ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

シエナの歴史

シエナの起源は実は明らかとはなっていません。

古代エトルリア人がこの地方に定住していた事はわかっていますが、シエナがいつ成立したのかは定かではないのです。

古代ローマ帝国の時代にも、主要街道から外れた場所にあるシエナは小さな村だったのではないかと言われています。

シエナが力のある町としてイタリア半島の政治、経済の中で重要な地位を占めるようになるのは中世に入ってからのことでした。

西ローマ帝国が滅んでからしばらくした6世紀中盤、ランゴバルト人が北イタリアにランゴバルド王国を建国しました。

この時、カッシア街道やアウレリア街道なおの主要幹線道路はまだ東ローマ帝国が統制していたため、ランゴバルド人はローマと北イタリアの交易路としてシエナを経由する街道を整備しました。

これによってローマへの交易キャラバンが立ち寄る事になったことや、ヨーロッパ各地からローマへと向かう巡礼者達が落とす宿泊費などでシエナは潤いました。

西暦774年にはカール大帝に降り、フランク王国の傘下に入り、トスカナ辺境伯爵によって統治されていたシエナでしたが、西暦1115年にトスカナ女伯爵マテイルデ・ディ・カノッサが亡くなった時、彼女に後継者がいなかったためトスカナ地方には小さな都市国家群が出現することになりました。

この頃には金融取引を通して発展していたシエナは、羊毛取引によっても大きな利益をあげており、市民による自治組織であるコムーネが町で大きな勢力となっていました。

西暦1167年にはシエナのコムーネはカトリック司教の統治から独立することを宣言します。

コムーネは西暦1179年にはシエナ独自の法律を制定しました。

シエナ旧市街の中心部であるカンポ広場は13世紀の初めには既に市政上重要な役割を持つ場所となっていました。

ここでは市場や市民のためのイベントが開かれ、新しい街道は全てカンポ広場を中心に整備されました。

シエナだけではありませんが、ヨーロッパの町のほとんどは広場を中心に町が形成されていて、いわば市民生活の中心とも言える役割を持っているのです。

西暦1240年にはシエナ大学が設立されました、中世ヨーロッパを代表する大学の1つであるシエナ大学は法律学と医学によって有名になりました。

シエナ共和国は対外的には最大のライバル、近隣のフィレンツェ共和国とトスカナ地方の覇権を争い続けました。

教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の対立でも、フィレンツェが教皇派ならシエナは皇帝派という具合に常にフィレンツェとは反対の立場に立ったのです。

西暦1260年のモンタペルティの戦いではフィレンツェ軍を完全に撃破する大勝利を収めましたが、9年後の西暦1269年にはコッレ・ヴァル・デルサの戦いで逆に大敗を喫してしまいます。

しかしこの戦いをきっかけとして皇帝派だった政府が倒され、フィレンツェとの関係も好転しました。

13世紀後半からの約70年間がシエナ共和国の最盛期となった時期です。

この時期はルネッサンスの始まりの時期で、シエナには芸術家が集まりました。

西暦1348年、シエナでもペストが大流行します。

これによってシエナの最盛期は終わりを告げました。

これ以降、シエナでは貴族派と市民派の権力争いが激化します。

西暦1487年、貴族派のパンドルフォ・ペトルッチがシエナの指導的地位に就きます。

西暦1512年に亡くなるまでの間、町に善政を敷き、教皇庁のチェザーレ・ボルジアから町を守り抜きましたが、彼の死後は内紛が頻発し、シエナの正常は不安定になりました。

これを好機とみた神聖ローマ帝国皇帝カール5世によってシエナは占領されます。

西暦1552年、神聖ローマ帝国のライバルであるフランス王国と手を結び、シエナ共和国は皇帝軍を追放しましたが、カール5世はすぐに報復攻撃に出ます。

西暦1555年4月17日、シエナ共和国は滅亡しました。

4年後の西暦1559年、カトー・カンブレジ条約によってシエナはフィレンツェ公国に割譲され、その後はイタリア統一までフィレンツェ公国、トスカナ大公国の一部となりました。

代表的建造物

シエナ大聖堂

シエナ大聖堂はカトリックのシエナの司教座聖堂です。

シエナ大聖堂は大聖堂の他、司教館、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ピッコロミーニ図書館、及びその他の部分から後世されています。

シエナ大聖堂のファサードはイタリアで最も美しいゴシック様式のファサードを持つと言われています。

パラッツォ・プッブリコ

カンポ広場に面している宮殿がパラッツォ・プッブリコです。

この宮殿は13世紀に建設が開始され、西暦1342年に完成しました。

ゴシック式の美しい宮殿は市庁舎として利用され、内部も美しいフレスコ画で飾られています。

現在は美術館として利用されています。

カンポ広場

カンポ広場はシエナ中心部にある広場で、中世の広場としてはヨーロッパでも最大規模の広場です。

カステルヴェッキオ、サン・マルティーノ、カモッリーアという3つの丘が合流する窪地に作られているため扇形になっています。

もともとは起伏の激しい土地だったそうですが、14世紀ころに整備されて現在の形となりました。

お役立ち情報

こちらではシエナ歴史地区観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

シエナ名物リッチャレリ

リッチャレリはシエナ名物のお菓子です。

アーモンドと卵、砂糖、ハチミツで練り上げた生地を数日置き、表面がひび割れてきてから焼き上げるのだそうです。

甘い物好きな方にはたまらない甘さのリッチャレリは14世紀頃から作られているシエナの伝統的なお菓子です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにシエナ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

イタリアには古代から中世現代までの全期間を通して多くの遺跡や建物が残されているため、シエナはあまり目立たない存在かもしれません。

ルネッサンスの始まりの時代に最盛期を迎えたシエナは花の都ともいわれたフィレンツェと長い間互角に争ってきた歴史もあり、イタリアでは有名な観光地の1つです。

フィレンツェとの争いに敗れた後は急速に衰えていきましたが、やはり見どころの多い町となっています。

フィレンツェから近いこともあって、日本からの観光客の多くはフィレンツェを拠点にシエナやピサに日帰りで訪れる方が多くなっています。

イタリアへお越しの際には是非シエナへのご訪問もご検討下さい!