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イタリアの世界遺産!サヴォイア王家の王宮群をクローズアップ!

今回ご紹介するのは世界遺産、イタリアの「サヴォイア王家の王宮群」です。

皆さんはサヴォイア王家の王宮群についてご存じでしょうか。

サヴォイア王家の王宮群は北イタリアのトリノにある、サヴォイア公国の宮殿です。

サヴォイア公国はその後イタリアを統一した国で、サルデーニャ王国とも言います。

トリノは西暦1563年からイタリア統一後の西暦1865年までサヴォイア公国の首都が置かれていた町で、サヴォイア王家ゆかりの数多くの宮殿が残されています。

そんなイタリアの世界遺産、サヴォイア王家の王宮群の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

 

サヴォイア王家とは

サヴォイア王家とは、現在のイタリアのトリノにあったサヴォイア公国の王家を指します。

サヴォイアはイタリア語の読み方で、フランス語風にサヴォワと表記される場合もあります。

もともとはフランスとスイスの国境地帯である、サヴォワ地方を統治する辺境伯爵家だったのですが、時代のイタリアとフランスを結ぶ交通の要衝であるピエモンテを抑えたことから勢力を大きく伸ばし、スペイン継承戦争ではシチリア王国の王位を手中に収め、その後オーストリアのハプスブルク家との間でシチリア島とサルデーニャ島を交換します。

サルデーニャ王国はリソルジメント(イタリア統一運動)の中心となった国で、サヴォイア公は統一後のイタリア国王になりました。

サヴォイア公国とトリノの歴史

イタリア、ピエモンテ地方の中心的都市であるトリノの歴史は古く、古代ローマよりも古い時代にタウリニー人と呼ばれる人々が定住していました。

紀元前1世紀頃にローマの勢力下に組み込まれ、町の名前をタウリニー人に由来した名前である、カストラ・タウリノールムと名付けられました。

このタウリノールムが徐々に変化して、現在のトリノという名前になりました。

サヴォイア王家の開祖はウンベルト1世・ビアンカマーノと言います。

西暦1003年にサヴォイア辺境伯であった事は分かっていますが、その当時の領土がどこだったのかははっきりとは分かっていません。

ウンベルト1世・ビアンカマーノは政略結婚によって領地を広げました。

フランスとスイスの国境地域であるサヴォワ地方はそう豊かとは言えない地域でしたが、政略結婚によってトリノ辺境伯領を手に入れた事でサヴォイア王家の道は開かれました。

西暦1225年には、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世によって、「北イタリアにおける神聖ローマ皇帝の代理人」に任命され、ピエモンテ地方全域を掌握しました。

14世紀後半には現在のフランス地中海沿岸地域の東側一帯も征服し、西暦1416年に神聖ローマ皇帝ジギスムントによって辺境伯爵から公爵に格上げされました。

世界遺産の宮殿群がある町はトリノですが、この頃のサヴォイア公国の首都は現フランスのシャンベリーで、トリノに遷都するのは西暦1563年の事でした。

西暦1701年に始まったスペイン継承戦争では、神聖ローマ帝国(オーストリア=ハプスブルク帝国)側に立ち参戦します。

この戦争中、フランス王国軍によってサヴォイア公国の首都トリノは包囲されました。

サヴォイア公国はもともとフランス側だったのですが、裏でオーストリアと手を結び寝返ったため、フランス王国のサヴォイア公国に対する嫌悪感は強く、軍隊の指揮も高くなっていました。

ハプスブルク家のイタリア方面司令官、グイード・フォン・シュターレンベルクの軍と合流したサヴォイア公国軍は西暦1704年にフランスに対して攻勢に出ましたが、勢いのあるフランス軍を破ることは出来ず、1706年5月14日に首都トリノが包囲されてしまいました。

落城必至かと思われたトリノでしたが、ハプスブルク家の大将軍プリンツ・オイゲン(オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナン)の救援軍が到達し、トリノの戦いでフランス軍を破ったため落城は免れました。

西暦1713年、スペイン継承戦争の講和条約であるユトレヒト条約でサヴォイア公爵家はシチリア島とシチリア王位を獲得しました。

その後、西暦1720年にこの時に手に入れたシチリア島と、ハプスブルク領だったサルデーニャ島を交換してサルデーニャ王国が成立しました。

トリノは西暦1720年から西暦1861年までサルデーニャ王国の首都として栄え、西暦1861年から西暦1865年まではイタリア王国の首都でもありました。

代表的建造物

王宮

カステッロ広場に面している王宮は16世紀から17世紀にかけて建設されました。

左右対称のその美しい宮殿内部は絢爛豪華な調度品の他、歴代のサヴォイア公が集めた陶磁器などが展示されています。

マダマ宮殿

マダマ宮殿も王宮と同じくカステッロ広場に面しています。

王宮を正面にみた時に、右手前にあるのがこのマダマ宮殿で、現在はトリノ市立個展美術館として利用されています。

この宮殿は14世紀頃建設が開始されましたが完成したのは18世紀になってからのことでした。

西暦2006年のトリノオリンピックの時にはマダマ宮殿はIOC(国際オリンピック委員会)のラウンジとしても利用されました。

カリニャーノ宮殿

西暦1679年に着工したこの宮殿は、カステッロ広場の南、2スクエアの位置にあります。

レンガで作られたこのバロック式の宮殿はイタリア統一時の王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が生誕した宮殿としても知られており、現在はイタリア国立リソルジメント博物館として利用されています。

リヴォリ城

リヴォリ城は14世紀に建設されたサヴォイア家の宮殿で、フランスへと通じる道を見下ろすリヴォリの丘にあります。

もともと軍事拠点として建設された事もあり、外観は他の宮殿と比べると厳めしい雰囲気をしていますが、内部は現代美術館として利用されているため非常に明るいです。

カッチャ宮殿及びストゥピニージ宮殿

トリノ中心部から南に10キロメートルほど離れているカッチャ宮殿とストゥピニージ宮殿は、サヴォイア王家の狩猟の為の宮殿で、典型的なピエモンテ・バロック式の建物です。

歴代のサヴォイア公によって増改築が行われたこの宮殿は、両翼を広げた野鳥のような優雅な外観をしており、トリノ市内の宮殿と比べるとのびのびとした雰囲気となっています。

この宮殿は現在では美術品及び家具博物館として利用されており、サヴォイア王家ゆかりの品が公開されています。

役立つ情報&豆知識

こちらではトリノ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

伝統的な飲み物 チョコレートドリンク

実はトリノはチョコレートが有名な町でもあります。

トリノ市内には有名な老舗チョコレート店も多いのですが、今回ご紹介するのはビチェリンというチョコレートドリンクです。

日本では全く無名のこの飲み物ですが、イタリアのピエモンテ州では統的な飲み物で、非常に人気があります。

ビチェリンは透明なグラスに、牛乳、ホットチョコレート、エスプレッソを注いだ飲み物で、混ざらずに3層構造になっているのが特徴です。

飲み方は、混ぜずにそのまま1層ずつ飲むのが通なのだとか。

トリノ+ピエモンテカード

ヨーロッパの多くの町で用意されている観光客用のカードがトリノにもあります。

美術館、博物館、宮殿など180カ所が無料になる他、トリノ市内の公共交通機関が乗り放題となるカードもあります。

お値段は

2日券 39.50ユーロ 3日券48ユーロとなっています。

※イタリア政府観光局公式サイト(日本語)より

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにサヴォイア王家の王宮群に興味を持って頂けたなら幸いです。

長い間統一国家が現れなかったイタリアを統一したサヴォイア王家ですが、その首都のトリノも併せ、日本での知名度は今ひとつとなっています。

どうしてもローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアといった三大有名都市に遅れを取ってしまうのでしょう。

しかし、サヴォイア公国はスペイン王、ローマ教皇(対立教皇)も輩出し、後にはイタリアを統一したほどの勢力で、その宮殿や美しさや素晴らしいコレクションを見ればいかに力のある国だったのかは一目瞭然です。

またイタリアのワインはフランスのワインと並んで非常に有名で、トリノのあるピエモンテ州では、イタリアワインの王様と言われている「バローロ」も作られています。

このワインを味わうだけでもピエモンテに来た甲斐があると言う方もいるのだとか。

次回のご旅行先がまだお決まりでないのでしたら、是非トリノへのご旅行もご検討下さい!