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イタリアの世界遺産!アッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群に迫る!

今回ご紹介するのは世界遺産、イタリアの「アッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群」です。

皆さんはアッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群についてご存じでしょうか。

アッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群はイタリア中部の町、アッシージにあるキリスト教の宗教施設である聖フランチェスコ聖堂を中心とした建造物群です。

聖フランチェスコはフランシスコ会修道院を創設した非常に有名な修道士で、シエナのカタリーナと並ぶイタリアの守護聖人でもあります。

聖フランチェスコは生前から既に聖人としてみなされていたと伝わっていて、イタリアの中世史で最も有名な聖人です。

アッシージは聖フランチェスコが生まれた町であることから、死後、その功績を讃えるために大聖堂が建設されたのです。

そんなアッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

アッシージの歴史

アッシージには紀元前10世紀頃にウンブリ人という部族が定住していました。

彼らは丘の上に集落を作って生活していましたが、紀元前5世紀頃に有力なイタリア先住民であるエトルリア人によって征服されました。

それから約200年後、紀元前3世紀の初め頃にはローマ人がイタリアの中部に支配権を確立します。

この時ローマ人が作った町の名前がアッシシウムという名前で、現在のアッシージはこれに由来しています。

この頃の古代ローマ遺跡、城壁、円形闘技場などは現在もアッシージの町に残されています。

アッシージにキリスト教が広まったのは比較的早い段階で、西暦238年頃と言われています。

これは古代ローマ帝国のキリスト教化よりも100年ほど早い時期になります。

ゲルマン民族の大移動によってローマ帝国が崩壊すると、西暦550年頃には東ゴート族、その後はランゴバルド族、フランク族と次々とアッシージの支配者は変わっていきました。

その後イタリアの政情が安定してきた11世紀頃までにはアッシージは独立国家となり、聖職者叙任権闘争では皇帝派(ギベリン)だったため、教皇派(ゲルフ)だった近隣のペルージャと戦争を繰り返しました。

アッシージ出身だった聖フランチェスコはこの戦いでペルージャの捕虜となったことを契機に、キリスト教の教えに目覚め「小さな兄弟会」、後のフランシスコ修道会を創設するのでした。

11世紀には独立を保っていたアッシージでしたが、13世紀になるとローマ教皇領に組み込まれていました。

その後は周辺の封建領主によって支配され、15世紀中頃の教皇ピウス2世の時に教皇領に再び編入されました。

聖フランチェスコについて

聖フランチェスコ(聖フランシスコ)はカトリックの聖人の中でも12使徒に次ぐ知名度の高さで知られています。

西暦1182年にアッシージで生まれた聖フランチェスコは隣国のペルージャとの戦争に出征し、捕虜になってしまいます。

やがて解放されて故郷のアッシージに戻った聖フランチェスコが荒れ果ててしまった聖ダミアン教会で祈りを捧げていると、我が家を再建せよ、という神の声が聞こえたと言います。

これをきっかけに聖フランチェスコは篤い信仰心を獲得し、荒れ果てた聖ダミアン教会の再建を決意します。

聖フランチェスコの家は裕福な商人だったので、彼は家から貴金属や宝石、美術品などを持ち出し、それらを売却したお金を教会に寄進します。

しかし、聖ダミアン教会の司祭は当初聖フランチェスコの寄進を受け取ろうとしなかったため、聖フランチェスコは金貨を教会の窓から投げ入れて帰りました。

聖フランチェスコの父は熱心なキリスト教信者というわけではありませんでした。

彼は息子に自分の後を継いで商人になって欲しいと思っていたので、教会を訪れて、息子に行きすぎた信仰をやめるように言いましたが、聖フランチェスコは父の言いつけよりも聖書の教えに従うことを決心したのです。

聖フランチェスコは教会を訪れた父に、着ていた服や靴、全ての持ち物を返し、聖書の教えに従って清貧な生活を送り始めました。

やがて聖フランチェスコの元には弟子にして欲しいという修道士が集まり始め、「小さな兄弟会」という修道会が出来上がりました。

この修道会が後のフランシスコ修道会となります。

その後、聖フランチェスコが山にこもって祈りをささげているとき、イエスが降臨し、両手、両足、わき腹にスティグマータ(聖痕)が授けられたと言います。

このスティグマータが原因かどうかはわかりませんが、その後聖フランチェスコの体力は衰えていき、聖書の一説を読みながら亡くなったそうです。

死後、わずか2年という驚異的なスピードで列聖され、カトリックの聖人となった聖フランチェスコでしたが、聖人とするかどうかを審議したときに、スティグマータの存在は考慮されませんでした。

この当時はスティグマータというもの自体が認知されておらず、その存在自体が信じられていなかったのです。

聖フランチェスコを列聖したローマ教皇はグレゴリウス9世といって、教皇在位前から聖フランチェスコとは親交があり、また各種の保護を与えてきた人物だったのですが、そんな教皇でもスティグマータについては肯定していません。

代表的建造物

聖フランチェスコ聖堂

この聖堂は聖フランチェスコが亡くなってから2年後、西暦1228年に彼が列聖された時に教皇グレゴリウス9世の命令で建設が開始されました。

着工から25年後の西暦1253年に完成しました。

その後も何回かの増改築が行われ、現在の姿になりました。

この聖堂は二層構造になっているのが特徴的です。

二層構造の上層はゴシック式、下層はロマネスク式になっているのも特徴の1つで、イタリアはもとより、世界中から巡礼者、観光客が訪れる観光スポットでもあります。

サンタ・キアーラ修道院

サンタ・キアーラ修道院は、聖フランチェスコを慕ってやってきた修道女キアーラ(クララ)が創設した女子専用の修道院です。

キアーラは貴族出身であったにもかかわらず、清貧を旨とする聖フランチェスコの教えに感銘を受け、西暦1212年に聖フランチェスコのもとで第二修道会を創設しました。

この修道院は第二修道会が教皇の承認を受けた西暦1253年頃に建設された建物で、建物の地下にはキアーラの遺体が聖遺物として収められています。

お役立ち情報

こちらではアッシージ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

アッシージ名物

アッシージがあるウンブリア州は「イタリアの緑のハート」などと呼ばれています。

海が無い地方なので、山の幸と肉類を中心とした料理ばかりですが、黒トリュフ、オリーブオイル、ワインが名産品となっています。

チーズや生ハムも有名な農業県で、イタリアの中では田舎であることから物価も安く、美味しいレストランが数多くあります。

肉を煮込んだ料理が名物料理で、ハーブが効かせてあるのが特徴的です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群に興味を持って頂けたなら幸いです。

アッシージはローマやフィレンツェから日帰りで訪れることのできる距離にありますし、世界遺産以外の観光スポットもありますので是非足をお運び頂きたい場所の1つです。

ローマのテルミニ駅からは直通電車で約2時間、フィレンツェ駅からは約2時間半で到着します。

イタリアの三大人気観光地のうち2か所から近いため、日帰り旅行で訪れる方も多く、自信を持っておすすめできる町の1つです。

イタリアへご旅行の際には、是非アッシージご訪問もご検討下さい!