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イスラム時代の様子を今に伝える町!スペインの世界遺産コルドバ歴史地区に行ってみよう!

今回ご紹介するのは世界遺産、スペインの「コルドバ歴史地区」です。

コルドバはスペイン南部のアンダルシア地方にある町で、かつてイベリア半島にあった後ウマイヤ朝の王都が置かれていた事で知られています。

イスラム時代の様子を今に伝える町、コルドバの魅力を歴史を踏まえてご紹介していこうと思います。

コルドバの歴史

コルドバの歴史は古く、始まりは紀元前にまで遡ります。

古代地中海世界において、ローマと勢力を二分したフェニキア人の国、カルタゴの植民都市カルタゴ・ノヴァを現在のカルタヘナに建設しました。
その後紀元前218年に、カルタゴとローマの間で始まった第二次ポエニ戦争の結果、コルドバを含むヒスパニアを属州とします。

その後紀元前14年に初代ローマ皇帝アウグストゥスの領土再編で、イベリア半島の属州も再編され、コルドバを含む南スペインには「ヒスパニア・バエティカ」州が置かれ、その首府がコルドバに置かれました。

ヒスパニア・バエティカは古代ローマ帝国において、最も裕福な属州の1つとなり、五賢帝の内の2人、初の属州出身皇帝トラヤヌスとハドリアヌスを輩出します。
この頃の建造物の一部は現在でもコルドバに残されています。

豊かな土地として知られ、繁栄していたヒスパニア・バエティカでしたが、西暦409年にヴァンダル族によって征服されてしまいます。
その後ヴァンダル族は北アフリカに移っていきましたが、入れ替わりで西ゴート族によって征服されました。

一時期、東ローマ帝国によって統治された期間がありますが、8世紀頃にムーア人がイベリア半島に進出するまで、西ゴート族による統治は続きます。
コルドバは西暦711年にムーア人の支配下に入りました。

西暦756年には、アッバース朝から逃れてきたウマイヤ朝の王族アブド・アッラフマーン1世によってコルドバを都とする後ウマイヤ朝が建てられます。

ここからコルドバは大いに栄え、最盛期を迎えました。
この時代のイスラム文化圏は、世界的にも先進的な文明でしたのでヨーロッパ、北アフリカを含む地中海地域全体からコルドバに人が集まり、当時最先端の学問や、華やかな文化が花開いたのです。

10世紀には、コルドバはイスラム文化圏ではバグダットに次ぐ第二の大都市に成長します。
この頃のコルドバの人口は既に50万人を超えていたのでは無いかと言われています。
コルドバ・後ウマイヤ朝が最盛期に建設した宮殿、ザフラー宮殿は、当時世界一美しく華やかな宮殿と言われていたそうです。

後ウマイヤ朝の都として、長く栄えたコルドバでしたが、キリスト教国による国土回復運動(レコンキスタ)の結果、西暦1236年にカスティーリャ王国のフェルナンド3世によって後ウマイヤ朝が滅ぼされ、コルドバも占領されます。

キリスト教勢力によって奪還された後のコルドバではメスキータが教会に改造されるなど、一部でイスラム建築への破壊行為などもありましたが、その後も順調に成長を続けました。

現在のコルドバは人口30万人を超えるアンダルシア州コルドバ県の中心的都市となっており、多くの観光客が訪れています。

代表的建造物

メスキータ(聖マリア大聖堂)

コルドバのメスキータはキリスト教の教会として改造された部分もあり、教会としての名前は聖マリア大聖堂と言います。
コルドバのメスキータは、後ウマイヤ朝を興した初代国王アブド・アッラフマーン1世によって西暦786年に建設されました。

馬の蹄の形のアーチが特徴的で、「礼拝の間」の室内には所狭しとこのアーチが並んでいて、外界とは別次元の空間が広がっています。

この「礼拝の間」は別名「円柱の森」とも言われているそうです。
ガイドブックなどでもよく写真が使われていますので、目にしたことのある方も多いかもしれません。

西暦1236年にカスティーリャ王フェルナンド3世の手によってコルドバが征服された後、メスキータは徐々にキリスト教会化の為に改装されていきましたが、キリスト教徒の王達も、芸術として見た場合にも美しいこの建物を完全に破壊することなどは考えてはいなかったようです。

16世紀の王、カルロス1世によって大規模な改修工事が行われた際も、工事が完了したメスキータを訪れたカルロス1世が「改装など行わずに、そのままの建物を利用すればよかった」と嘆いたという伝説が残っています。

とはいえ、カトリックの聖堂となっている部分についても十分に美しい建築となっており、またこの事によってコルドバのメスキータは、イスラム文化とキリスト文化が融合した場所としてその価値が高まった部分もあるのです。

コルドバのアルカサル

コルドバのアルカサルは別名「キリスト教の王たちのアルカサル」とも呼ばれています。
このアルカサルは西暦1386年にカスティーリャ王アルフォンソ11世によってかつてのムーア人のアルカサル跡に建設されました。

ムーア人のアルカサルはとても広く、多くの施設が備わっていました。

庭園に水を引くための水車の数も膨大で、コルドバを占領した跡にもこの水車群は稼働していましたが、あまりに多くの水車が動いていたため、イザベル1世が水車の音がうるさくてよく眠れないと言い、取り外されてしまったそうです。

コルドバのアルカサルはイベリア半島のムスリム勢力最後の王国、ナスル朝グラナダ王国に対する征服拠点として機能しました。
西暦1483年にはナスル朝の王が捕らえられ、コルドバのアルカサルに監禁されたこともあったのです。

国土回復運動(レコンキスタ)が完了した西暦1492年には、このコルドバのアルカサルで、クリストファー・コロンブスとアラゴン=カスティーリャのカトリック両王の謁見も行われています。

その後、ナポレオンの支配に対抗したスペイン独立戦争でも軍事拠点として機能していたコルドバのアルカサルでしたが、西暦1821年からは刑務所として利用されました。
現在では刑務所としての役割を終え、観光施設として知られています。

ユダヤ人街

後ウマイヤ朝などのムスリム国家はキリスト教圏と比較すると、ユダヤ人に対して寛容だったので、コルドバにも多くのユダヤ人が住んでいました。

ユダヤ人街には「花の小径」と呼ばれる有名なスポットがあります。
ユダヤ人街では白い壁が沢山の植木鉢が吊られ、飾られているのですが、花の小径は本当に小さい道なので、花のアーチのようになっているのです。

メスキータの北側にあるこの小径を進み、振り返ると小径の間からメスキータのミナレットが見えます。
ここの写真も必ずと言って良いほどガイドブック等で使われています。

ザフラー宮殿

後ウマイヤ朝のカリフ、アブド・アッラフマーン3世によって建設された宮殿です。

アラビア語で「花」を意味するこの宮殿の建設は一日あたり一万人の労働者によって進められたそうです。
クフ王のピラミッド建設にかかった人数が、1日あたり二万人程度だったのではないかという説もありますが、比べるとザフラー宮殿の壮大さが想像できるのではないかと思います。

敷地面積も広く、1平方キロメートル以上あったと伝わっているこの宮殿はアブド・アッラフマーン3世の時代には完成せず、第二代カリフ、ハカム2世の時代に完成します。

三層に分かれた宮殿には、一般市民も住んでいたそうです。

完成までに35年を要したザフラー宮殿ですが、第三代カリフ、ヒシャム2世の時代にウマイヤ王家の内紛によって破壊されてしまいます。
その後、現代に至るまで修復されず放置されていましたが、西暦1910年に発掘が始まり、現在も発掘・修復が進められています。

カラオーラの塔

カラオーラの塔は、12世紀末にローマ橋の防衛の為に建設されました。
グアダルキビル川にかかるローマ橋は、カラオーラの塔建設当時この辺りで唯一の橋でした。

カラオーラの塔はメスキータとは反対側のローマ橋の川岸に作られた、要塞と門の機能を併せ持つ防衛施設です。
カラオーラの塔、またはローマ橋上からはグアダルキビル川とメスキータの全容を一望することができます。

ここ以外の場所では他の建物によってメスキータの一部が隠されてしまう為、橋の上はいつもメスキータの記念撮影を行う観光客で賑わっています。

役立つ情報&豆知識

こちらではスペイン コルドバ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

コルドバの名物料理

コルドバの名物料理と言えば、COLA DE TORO(コラ・デ・トロ:牛テールの煮込み)やSalmorejo(サルモレホ:トマトの冷製スープ)が有名です。
味はご想像にお任せしますが、どちらも美味しいです。

どちらもコルドバのレストランでしたらどこでも食べられると思います。

サルモレホはトマト、にんにく、オリーブオイル、パン、酢、ゆでたまご、生ハムから出来ていて、冷たくない方が美味しいのでは?と思う方も多いそうです。
私は暑い時期に食べた事もあり、冷たいスープはありがたかったのを覚えています。

コラ・デ・トロはRABO DE TORO(ラボ・デ・トロ)やESTOFADO(エストファード)と書かれていることもありますが、こちらはハズレ無しの1品です。

コルドバのお土産

観光客への一番人気はなんと言ってもメスキータがデザインされた雑貨です。
お値段も安く、数を揃えることも簡単です。

メスキータはコルドバのシンボルですので、いろんなものにそのデザインが使われています。

金細工・銀細工

コルドバのお土産でもう1つ有名なのは金細工、銀細工です。
ムスリム王朝の時代にまで遡るコルドバの金銀細工職人の歴史は長く、現在でも多くの職人が残っているそうです。

お土産屋さんでも安く手に入れる事ができます。
好きなデザインのものを探してみるのも楽しいのではないでしょうか。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにコルドバ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。
当時の世界最先端の技術を持ってコルドバを支配したムスリム王朝、彼らの統治政策の多くは寛容だったので、イベリア半島の住民達は比較的穏便に彼らを受け入れたと言われています。

彼らの建造物の多くは、その後イベリア半島を支配したキリスト教国によっても文化的価値、芸術的価値を認められ、必要以上の破壊をされずに利用されました。

コルドバのメスキータは、もともとキリスト教会があった場所にモスクが建設され、その後またキリスト教会に改装されるという数機な経緯があったことから、1つの建物に2つの宗教の施設が混ざる独創的な建物となっています。

次の大型連休には、イスラムとキリスト、ヨーロッパとアラブ、北アフリカが共存するエキゾチックな町、コルドバへのご旅行はいかがでしょうか。