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イギリスの世界遺産!ニュー・ラナークの魅力を歴史から紐解いてみた!

今回ご紹介するのは世界遺産、「ニュー・ラナーク」です。

皆さんはニュー・ラナークについてご存じでしょうか。

ニュー・ラナークはイギリスの北部、スコットランドにある村の名前です。

グラスゴーの南東約50キロメートルの地点にあるこの町がなぜ世界遺産に認定されたのか、気になりませんか?

そんなニュー・ラナークの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ニュー・ラナークとは?

ニュー・ラナークが村になったのは西暦1786年に綿織物工場と工場で働く労働者の寮を建設したのがきっかけでした。

クライド川の水流を工場の動力に活用できると考えてこの場所に建設されたニュー・ラナークでしたが、経営者が社会的事業に力を入れている有名な実業家だったため、労働者が搾取されることなく、工場の生み出す利益を享受できたことから「ユートピア社会主義」の象徴とも言われています。

ニュー・ラナークの工場は現在では操業を終了していますが、西暦1968年までは稼働していました。

西暦1975年に、歴史的、文化的に価値のあるニュー・ラナークを守る目的で「ニュー・ラナーク保全トラスト」が設立されました。

その後、ニュー・ラナークの建物の多くが修復、再建され、現在では年間50万人近い観光客が訪れるスコットランドの人気観光スポットの1つとなっています。

ニュー・ラナークの歴史

ニュー・ラナークは西暦1786年、デヴィット・デイルという実業家によって建設されました。

ニュー・ラナークに建設された綿織物工場からは十分な利益が上がっていましたが、19世紀の初めに6万ポンドで協同組合に売却されます。

この協同組合には有名な社会事業家のロバート・オーウェンも参加していました。

彼が経営陣にいたことで、ニュー・ラナークでは労働者への大幅な利益還元が行われ、ユートピア社会主義の象徴と呼ばれるようになりました。

ニュー・ラナークの工場ではクライド川に設置された水車によって全ての機械が動いていました。

上流に作られたダムから流れ出る水は、水路を通って各工場に設置された水車を回していました。

これによって各工場では紡績機や製綿機を動かし、操業していたのです。

工場が操業をやめた現在でも水力は使われています。

ニュー・ラナーク第三工場の中には最新の水力発電機が備え付けられ、観光用の建物などに電力を供給しているのです。

この頃のニュー・ラナークには多い時で2500人近い工場労働者とその家族が住んでいました。

労働者の多くはグラスゴーやエジンバラの貧しい家庭や孤児院などの出身です。

ロバート・オーウェンは社会改善主義の信念に基づいて労働者の生活環境改善を決意しました。

この頃のヨーロッパでは、一般的に労働者は劣悪な環境で作業を行うことが一般的で、資本家は労働者から搾取するのが当たり前という考えが優勢でした。

ロバート・オーウェンのやり方はその考えとは全く逆の考え方でしたので、共同経営者の多くは彼の考えに反対しました。

工場からは多くの利益が上がっていたこともあり、ロバート・オーウェンは他の経営者の持ち分を徐々に買い取っていきました。

ニュー・ラナークには400人から500人の子供も住んでいました。

子供とは言っても、労働基本法など無い時代ですので彼らも綿織物工場で働いていました。

ロバート・オーウェンはこの子供たちのために西暦1816年に幼年学校を作り、初等教育を受けられるようにしました。

この学校はイギリスで最初の初等教育学校と言われています。

このように労働者の環境改善に努めたニュー・ラナークはたちまち有名になり、ヨーロッパ各地から王侯貴族、政治家、社会学者などが訪れるようになりました。

従来の工場とは違う衛生的な労働環境と活力に満ちた労働者たちの姿を目の当たりにした人々は、労働者に劣悪な環境を我慢させることが経営学であるという古い考えが真実ではないことに気づき、非常に感銘を受けました。

ロバート・オーウェンは西暦1825年に資本家のウォーカー家にニュー・ラナークの経営権を売却しましたが、その後も労働者は良い環境で働くことができ、それは西暦1968年に工場が閉鎖されるまで続きました。

もともと工場のためにできた団地のような村だったので、工場が閉鎖されると徐々に人々が村から離れていき、建物の老朽化も進んでいきました。

西暦1975年に設立されたニュー・ラナーク保全トラストによってニュー・ラナークの建物の保全が進められ、西暦1983年には当時多くの建物を所有していたメタル・インストラクションという会社に対して建物の強制収容を命じる判決が出されました。

これによってニュー・ラナークの工場と関連する建物はニュー・ラナーク保全トラストが管理することになり、21世紀頃までにほとんどの建物が修復されました。

住居と工場

初期のニュー・ラナークでは労働者の一家は全員1つの部屋で暮らしていました。

赤ん坊から壮年の労働者までが1つの部屋に暮らす環境は、不衛生ではないとはいえ、狭く、快適とは言い難い環境でした。

ニュー・ラナークでは労働者の環境改善が常に繰り返され、20世紀頃までには複数の部屋を持てるようになっていました。

水道や流し、トイレなど水回りの施設は長い間共用でしたが、西暦1933年からは室内に個別の水場が作られるようになりました。

西暦1898年からは村の全ての住宅で電気が使えるようになりました。

この当時の電力は弱く、ランプを点けるのがやっとでしたが電気料金は無料でした。

西暦1955年までは独自の電力が供給されていましたが、この年に大手電力会社によって電気が供給されるようになりま

年間40万人を越える観光客が訪れるニュー・ラナークでは、現在も200人から300人の人々が暮らしています。

しかし、歴史的な景観を守るために建物の外観などについて多くの規制があり、持ち家を維持するのが難しく、新しい建物を建てるのにも多額の費用がかかるため、徐々に村人は減りつつあります。

他にも関連工場はありますが、ニューラナークの綿織物工場は大きく4つの工場があります。

第一工場は西暦1785年に建設されました。

西暦1788年に家事で焼け落ちてしまいましたが、翌西暦1789年に再建され、この時の建物が現在も残っているものです。

最盛期には600人近い人々が働いていたこの工場は現在ではニュー・ラナーク・ミル・ホテルというホテルに生まれ変わり、多くの観光客を受け入れています。

第二工場は西暦1788年に建設されました。この工場は19世紀の終わりごろに拡張工事が行われ、ニュー・ラナークで唯一のレンガ仕上げになっていることで知られています。

現在では観光客のために公開されています。第三工場は西暦1790年頃に建設されました。

西暦1819年には火事で焼け落ちてしまいましたが、西暦1830年代に再建されて、現在でも観光用の建物に電力を供給するための水力タービンが稼働しています。

第四工場はもっとも遅く、西暦1793年頃に建設されました。

この工場は生産だけでなく、食糧の貯蔵庫や孤児院としても使用されていました。

西暦1883年には火事で焼け落ちましたがその後すぐに再建されました。

お役立ち情報

こちらではニュー・ラナーク観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ニュー・ラナークへのアクセス

スコットランドのグラスゴーからラナークまで電車で行き、ラナークからバス、またはタクシーで訪れる方が多いです。

グラスゴーとラナークの間は1時間に2本程度の列車が運行していますので、特に時刻表を気にしなくても問題ありません。

またレンタカーでニュー・ラナークを訪れる場合には無料の駐車場があるためそちらに車を止めることが出来ます。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにニュー・ラナークに興味を持って頂けたなら幸いです。

ニュー・ラナークは21世紀に入ってから世界遺産に登録された比較的新しい登録遺産です。

産業革命期の遺産というと、日本ではあまりパッとしないイメージを抱かれる方が多いのですが、年間40万人から50万人の人が訪れる、イギリスでは有名な観光スポットです。

イギリスの中でもスコットランドには世界遺産が4つしかありませんので、スコットランド地方を訪れる場合には外せない観光スポットの1つでもあります。

スコットランドを訪れるのでしたら、是非ニュー・ラナークへも足をお運びください!