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アルビへ行くならこれ見とけっ!フランスの世界遺産アルビ司教都市とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、フランスの「アルビ司教都市」です。

皆さんはアルビ司教都市についてご存じでしょうか。

アルビはフランス南西部にあるタルン川に面した町の名前です。

中世初期にはキリスト教の一派であるアルビ派(カタリ派)の根拠地として有名になりました。

世界遺産の登録名、「司教都市」というのはローマ=カトリック教会がアルビから異端であるアルビ派を一層した後、司教を通じて直接この町を支配した事に由来しています。

そんなアルビ司教都市の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

アルビ司教都市の歴史

アルビの歴史は非常に古く、この地に最初に人類が定住したのは青銅器時代と言われていますが、その当時の事は明らかとはなっていません。

アルビが本格的に歴史の表舞台に現れるのは、紀元前51年に古代共和制ローマがガリアを征服した後のことです。

ガリアを征服したローマ人はこの現在のアルビの位置にあった町をキウィタス・アルビゲンシウムと名付け、やがてはアルビガと呼ばれるようになりました。

この名前の由来は現在でも判明していませんが、アルビウスというローマ人に由来するという説が有力となっています。

何度か発掘作業が行われましたが、古代ローマ時代の遺跡が発見されなかったため、ローマ人はこの町を重要視していなかったのではないかと思われています。

アルビが大きく発展することになるきっかけは、西暦1040年にタルン川に橋が建設された事です。

これによって、川向こうに新市街を建設することが可能になり、橋を利用することで交易品の取扱量が増加した事や、橋の通行料を徴収する事で人が集まり、町は豊かになっていきました。

中性初期にはラングドック地方を中心とした南フランスで、ローマ=カトリック教会とは異なる宗派であるカタリ派が流行しました。

カタリ派の教義自体には現在でも不明な所もあるのですが、しばしばカタリ派はアルビと関連づけられて、アルビジョワ派(アルビ派)とも呼ばれていました。

南フランスの諸侯もアルビジョワ派を弾圧せず容認していたため、南フランスでアルビジョワ派の信者は増えて行きました。

南フランスの諸侯はフランス国王の臣下でしたが、イングランド国王や神聖ローマ皇帝など複数の主君を持つ者や、状況に応じて主君を変える者も多く、半ば独立国のような状況となっていました。

南フランスを勢力下に組み入れたいカペー朝フランス王国の国王と、異端派を一層してローマ=カトリックの拡大を図りたいローマ教皇の利害が一致したため、西暦1209年にアルビジョワ十字軍が結成されます。

アルビジョワ十字軍は同じキリスト教とであるにも関わらず、アルビジョワ派を根絶するため、徹底的に弾圧を行いました。

アルビを含む南フランス一帯では異端審問が行われ、多くのアルビジョワ派の信者が火刑になりました。

アルビジョワ十字軍を境に南フランスはフランス王室の領土なり、アルビはローマ=カトリックの司教が直接統治する司教領となります。

13世紀のアルビ司教、ベルナール・ド・カスタネによって城塞としての機能を持つ司教館、ベルビ宮殿が建設され、サント=セシル大聖堂の建設が命じられました。

西暦1282年に着工した大聖堂は、200年以上の時を経てやっと完成に至りました。

14世紀にヨーロッパで大流行したペストはアルビでも猛威を振るい、2人に1人が死亡するほどの被害を与えました。

しかし、15世紀半ばからの約100年間、アルビは染料交易によって繁栄しました。

この時取引されていた染料はホソバタイセイという植物から採れる染料で、アルビはこの植物の量産に成功したのです。

ホソバタイセイから採れる染料は、色落ちしにくいため大変な需要があり、フランスだけでなくヨーロッパ各地へと輸出されていきました。

ホソバタイセイ商人は莫大な利益を手に入れ、ルネサンス期には大きな邸宅がいくつも建設されました。

アルビのこの繁栄は、インドから安いインディゴが持ち込まれるようになるまで続きました。

やがてインドから安いインディゴが持ち込まれるようになると、アルビは急速に衰退して行きました。

代表的建造物

ベルビ宮殿

アルビがローマ=カトリックの司教領となってまもなくサント=セシル大聖堂(アルビ大聖堂)の隣に建設された司教館がベルビ宮殿です。

ベルビ宮殿の名前の由来はこの地方で話されていたオック語で、司教を意味する言葉「ビスビア」に由来しているそうです。

アルビジョワ派の逆襲を恐れたアルビ司教は、司教館であるベルビ宮殿をまるで城塞のような堅固な建物にしたのです。

ベルビ宮殿が完成するまでアルビ司教は質素な邸宅に住んでいたと伝わっています。

現在はトゥールーズ=ロートレック美術館として利用されています。

サント=セシル大聖堂

セント=セシル大聖堂もアルビがローマ=カトリックの司教領となってから建設された建物です。

ゴシック式の大聖堂なのですが、他の多くのゴシック式の大聖堂と違い、フライングバットレスが見られない事や、赤レンガで作られていることが特徴的な建物です。

これは、アルビジョワ派を追放、弾圧してアルビをカトリック司教領とした歴史的経緯があったため、有事には軍事要塞として利用できるように考慮されたためと伝わっています。

また、優美なデザインであるようりは、重厚なデザインであった方がアルビ市民達の心を圧倒し、統治がしやすかったためとも言われています。

サン=サルヴィ参事会聖堂

サン=サルヴィ参事会聖堂は、アルビの初代司教である聖サルヴィに捧げられた聖堂です。

ローマ=カトリック司教領となる前から存在する古い聖堂で、18世紀頃まで回収を繰り返しながら使用されてきました。

ポン・ヴィユー

ポン・ヴィユーはタルヌ川に西暦1035年に架けられた古い橋で、この橋によって川の両岸は連結され、町が発展するきっかけの1つとなりました。

当初、防御機能は備わっていませんでしたが、14世紀には跳ね橋に改装され、要塞化されました。

ポン・ヴィユーを北側に渡った場所が、川越しに大聖堂と司教館を眺めることのできる絶好のポジションです。

また、南側の川岸からはマドレーヌ地区を一望できるため、多くの観光客がこの橋の両端で記念撮影をするそうです。

お役立ち情報

こちらではアルビ司教都市観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

バラ色の都市

アルビは近くの町、トゥールーズと並んで「バラ色の都市」とも呼ばれています。

これは、フランスでは珍しい赤レンガ造りの建物が太陽の光を浴びると淡いバラ色のように見える事から名付けられました。

もともとは政治的、軍事的な目的から赤レンガで作られた町並みも、こんな素敵な名前を付けられると何だかロマンチックな町のように思えてくるのが不思議ですね。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアルビ司教都市に興味を持って頂けたなら幸いです。

スペイン国境に近い南フランスというと、日本人には馴染みが薄く、なかなか訪れたことがある方もみつらないかもしれません。

しかし、この地方にも今回ご紹介したアルビや、同じく世界遺産のカルカッソンヌなど、いろいろな観光スポットがあるのです。

赤ワインで有名なボルドーや、日本人にも人気の観光地であるバルセロナへのアクセスも良いので、他の観光地と組み合わせて訪れる方が多いようです。

フランス旅行というと圧倒的にパリやニースを訪れる日本人が多い中、こういった日本では知名度の低い町を訪れた事がある、と話すと初対面のフランス人は大抵関心を示して、仲良くなるきっかけにもなります。

次回のご旅行先がお決まりでないようでしたが、是非アルビへのご旅行もご検討下さい!