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アフガニスタンの世界遺産!バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群の実態とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」です。

皆さんはバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群についてご存じでしょうか。

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群はアフガニスタンの首都カブールの北西約230キロメートルの地点にある仏教の遺跡です。

アフガニスタンを実効支配していたタリバン勢力によって、現在では危機遺産に認定されています。

そんなバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

バーミヤン渓谷の歴史

バーミヤン渓谷は古代都市バーミヤンを中心とするヒンドゥークシュ山脈山中の渓谷地帯のことです。

アフガニスタンの首都カブールの北西約230キロメートル付近にあり、標高2500メートルの高地に位置しています。

古代都市バーミヤン近郊では1世紀頃からバクトリア王国によって石窟仏教寺院が建設され始めました。

何世紀にも渡って建設された1000箇所以上の石窟は、グレコ・バクトリア式と呼ばれる仏教の美術様式で有名な文化遺産です。

グレコ・バクトリアというのはギリシャ人のバクトリア王国という意味で、アレクサンドロス大王の東方征服によってこの地に来たギリシャ人の一部が残り、バクトリアに建国した王国のことです。

この王国は西方のギリシャ文明と東方のインド、オリエントの文明が融合したヘレニズム文化を持ったことで良く知られています。

5世紀から6世紀にかけて西大仏と東大仏と呼ばれる2体の大仏像をはじめとする数多くの仏像が作られ、石窟寺院内部にはインド美術やペルシャ美術の影響を色濃く受けた仏教壁画が掘られました。

西暦630年に中国からの仏教僧がバーミヤンを訪れた時の記録によると、大仏像には金箔が張られるなど、美しく彩られ、無数の寺院では数千人を越える僧侶が修行をしていたそうです。

その後はアラビア半島で興ったイスラム教の勢力がアフガニスタンにも進出してきたため、僧院の共同体は徐々に姿を消していきました。

11世紀初頭にはイスラム教勢力のガズナ朝によってバーミヤンの石窟寺院が略奪されたとも言われています。

仏像に施されていた金箔や装飾も時間とともに剥がれ落ち、大仏の顔面部が失われるなどの深刻な被害も出ましたが、大仏そのものの破壊は行われず、石窟寺院内の壁画も大部分が残されました。

近代以降、日本や西洋の学者がアフガニスタンの山岳地帯まで訪れるようになると、バーミヤン遺跡の価値が再認識され、大仏像や石窟寺院、壁画など、数多くの古代からの仏教美術が残されていたため世界中から注目を集めるようになります。

20世紀には本格的な学術調査も幾度となく行われ、世界でも有数の仏教遺跡として知られるようになりました。

しかし、西暦2001年にはアフガニスタンを実効支配していたタリバンによって遺跡が爆破され、広範囲にわたって壊滅的な被害が発生します。

アフガニスタン戦争終結後の調査によると、西暦1979年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻からの約20年間の混乱とタリバンによる爆破で、最盛期の8割以上が失われてしまったという調査結果もあります。

現在ではユネスコをはじめとする国際機関による支援を受け、修復や再建が進められていますが、多くの遺跡が失われてしまったことから西暦2003年からは危機遺産リストにも登録されています。

このバーミヤン遺跡への国際支援を先導したのは日本政府で、西暦2002年には70万ドルを拠出してユネスコ日本信託基金を設立しました。

タリバンによる仏像破壊

19世紀にバーミヤン遺跡の文化的価値が見直されて以来、数多くの学者や研究者によって遺跡の調査、発掘および保全事業が行われていましたが、西暦1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻したことによってそういった文化事業を行うことが出来なくなりました。

1980年代には、バーミヤン周辺が一部の武装勢力の拠点となり、内戦の激化に従って遺跡を含む周辺地域にも無数の対人地雷が埋設されるなど、遺跡へのダメージが懸念されていました。

アフガニスタンの内戦はイスラム教原理主義の勢力であるタリバンが、国内の大部分を押さえたことによって終結します。

バーミヤンも西暦1998年にタリバンによって制圧されました。

タリバン政権下ではイスラム教原理主義に基づいた統治が行われ、仏像はイスラム教の偶像崇拝禁止の教えに反しているとされ、西暦2001年2月26日に大仏像の爆破が決定されます。

この決定に対しては、アジアの仏教国だけでなく、西洋諸国や、イスラム教の指導者からも批判が表明されました。

国連総会においても全会一致でバーミヤン大仏像の破壊中止を求める決議が採択されました。

また、水面下の交渉では大仏像をアフガニスタン国外に持ち出す提案や、遺跡自体を壁などで覆って見えないようにする提案なども出されていましたが、西暦2001年3月12日にタリバンによって仏像が爆破されました。

この仏像爆破の瞬間は世界中でも報道されたので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。

アフガニスタン戦争後の西暦2012年、タリバンの勧善懲悪省長官だったカラムディン氏は記者会見でこのようにコメントしています。

「仏像の破壊は間違っていた。仏像破壊を決定した当時、アフガニスタンの幹部は破壊には消極的だったが、外国からタリバンに合流した勢力が決定権を握っていた」

このタリバンによる仏像破壊は世界中から非難が集まっていますが、その一方でアフガニスタン内戦中、国際社会がその惨状に無関心だったことを批判する意見もあります。

イランの映画「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちた」という作品は、数十万人を越える戦争難民よりもたった1つの大仏の爆破に世界が注目したことを非難しています。

この作品ほど過激な主張ではなくとも、大仏の破壊はタリバンの意思によるものではなく、仏が望んだことで、自らを破壊させることでアフガニスタンの惨状に光を当てようとしたと見る方もいらっしゃいます。

どのような意味を見出すかは、個人によって異なるかと思いますが仏教美術の神髄とも言える作品が消滅してしまった文化的な損失は大きく、このような事件が起こらないことが望まれます。

お役立ち情報

こちらではバーミヤン観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

旅行時の注意

アフガニスタンを旅する時は、なるべく肌の露出を避け、不要なトラブルを招かないように気を付けましょう。

特に女性は、肌の露出だけでなく体のラインもわかりにくい服装をして、団体行動を心がけてください。

男性であっても夜間の行動や単独行動はなるべく避けた方が良いでしょう。

内戦終結後、治安は回復してはいますがまだまだ国全体が貧しく、反政府勢力も残っているため、安全には気を付けなければいけません。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群に興味を持って頂けたなら幸いです。

タリバンに破壊されてしまったとはいえ、東大仏はその体の一部が残っていて、原型は留めていないものの、かつてそこに大仏が立っていたというのは判別できます。

また、西大仏は完全に崩落してしまい、跡形もない状態になってはいますが、大仏が立っていた空間からは「空」を感じることができます。

確かに、美術品としては失われてしまい、肉眼で大仏を見ることはできなくなってしまいましたが、仏教の教えの1つである「色即是空 空即是色」の考え方からすると、それは一時期大仏としての形を取っていただけであって、定まった形があるわけではないとされています。

この爆破によって国際社会によるアフガニスタンへの支援が増えたというのなら、仏様は喜んでいるのかもしれません。

石窟内の壁画も多くは失われてしまいましたが、まだ残っているものもあります。

内戦の影響によって開発が遅れたことにより、雄大な大自然も多く残されています。

いつか気軽に訪れることのできる場所になってもらえたら、と思います。