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〜ドイツの父なるライン〜世界遺産ライン渓谷中流上部へ行ってみよう!

今回ご紹介するのは世界遺産、「ライン渓谷中流上部」です。

皆さんはライン渓谷中流上部についてご存じでしょうか。

ライン渓谷中流上部は国際河川であるライン川の一部の事で、ドイツの町、コヴレンツからヴィンゲン=アム=ラインまでのライン川沿いの約65キロメートルの地域の事を指しています。

この地域はドイツ民族の歴史の中でも特に重要な地域として知られています。

ドイツ語ではほとんどの川が女性名詞となっているのに、ライン川は男性名詞となっていることから「ドイツの父なるライン」とも呼ばれています。

ドイツの文化、歴史を知る上で最も重要な地域がこのライン川流域といっても過言ではないでしょう。

この世界遺産はその中でも特に交易上の重要な地域だった一帯で構成されています。

中世のドイツでは、この地域を中心として歴史が展開していきました。

そんなライン渓谷中流上部の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ライン川について

ライン川は西ヨーロッパを流れる国際河川です。

この川はスイスの山中にあるトーマ湖を源流として、スイス、ドイツ、オランダを通って北海に注いでいます。

途中でボーデン湖に合流して、ドイツとフランスの国境線沿いを北上し、フランス側の国境の町ストラスブールからドイツのカールスルーエに向かって流れ、ボン、デュッセルドルフなどのドイツの主要都市を縫うように流れてオランダに入り、ロッテルダムの近くで北海に注ぐこの川は周辺国の合意によって、どの国の船舶でも通行が自由にできる国際河川となっています。

古代からライン川流域は水運を軸とした交易網にあたっていました。

内燃機関の無い時代には物流は馬車または船に頼っており、全長1200キロメートルを超えるライン川はヨーロッパでもドナウ川と並ぶ最も重要な川の一つでした。

一時期はこの川を境に西がフランス領、東がドイツ領となっていた時代もあり、中世ヨーロッパではこの川を巡って幾度となく戦いが起こりました。

近代以降も産業革命の中心地でもあり、第一次世界大戦後にフランスによって占領され、非武装中立地域とされたルール工業地帯もこの川とルール側の間にあります。

現在でもライン川下流地域には広大な工業地域が広がっており、ヨーロッパの重工業の要ともなっています。

ライン渓谷中流上部について

西暦2002年にユネスコ世界遺産に登録されたこの地域は、古代から現代までの歴史、文化、産業の面で非常に重要な役割を果たしてきました。

先史時代にもライン川はドイツにおける重要な交易路となっていたことが判明しており、先住民の集落もこの川沿いに点在していたことがわかっています。

神聖ローマ帝国の領域となってからはこの地域は帝国の中央ともいえるべき地域で、交易路を確保するために数多くの砦や城が建設されました。

これらの城塞の多くは西暦1618年から西暦1648年まで続いた三十年戦争によって破壊され、当時の姿をとどめているものはほとんどありません。

ライン川の観光クルーズが盛んなのもこの地域で、廃墟となった城塞や古城、中世の街並みを保持している都市、古い教会や修道院などといった昔ながらの景色を楽しむことができます。

見どころ

ローレライ

ローレライはザンクト・ゴアールスハウゼンという町の近くにある、水面から約130メートル突き出た岩山のことです。

このローレライはライン川流域の中で最も川幅が狭いところにあるため、川の流れが速くなり、また川底に多くの岩礁が潜んでいたためかつてはここで多くの船が沈没しました。

この事故が起こるのがちょうどローレライの傍だったため、ローレライには美しい女性の姿をした精霊が住んでいて、歌声で船乗りを誘惑して船を沈めるという伝説が生まれました。

科学が発達していない時代の人々はローレライ付近で船が沈むのは精霊のしわざと本当に信じていたのです。

時代が下るにつれてこのような迷信を信じる人は徐々に減っていきましたが、ローレライの伝説はとても有名だったため、この伝説を元にした曲や詩も数多く作られました。

ネコ城

ネコ城はローレライと同じくザンクト・ゴアールスハウゼンの近くにある城の名前です。

実はこの城の所有者は日本人で、ベルリンの壁崩壊前の東西に分断されていた時代の西ドイツ政府から購入して、全体を修復した後内部を改装して宿泊施設にする計画だったのですが、修復工事中に城を含む地域一帯がユネスコ世界遺産に登録されてしまったことでホテルとして営業するのが難しい状況となってしまいました。

例えば部屋にカーテンを備え付けることができないなどホテルとしては致命的な制約が課されてしまったので、普通のホテルとしては営業していません。

現在は所有者の知人などがたまに宿泊しているようですが、宿泊費は非常に高いとのことです。

なお、西暦2016年の7月にNHKで放送された「所さん!大変ですよ」という番組での取材で現在のネコ城の内部が公開されたことがあります。

ネコ城という名前ですが、この「ネコ」というのは猫の意味です。

この城がネコ城と呼ばれるようになったのは諸説があるのですが最も有名な説はこの城を建設した領主がカッツェンエルンボーゲン伯爵という名前だった為、このような名前になったというものです。

カッツェというのはドイツ語で猫の意味で、カッツェンエルンボーゲンは猫の肘という意味になります。

ネコ城は西暦1360年から西暦1370年頃に建設されました。

この城を建設した目的は、西暦1326年に既に建設されていたトリーア大司教領のトルンブルク城に対向するためで、トルンブルク城はネコに睨まれていることから通称マウス城と呼ばれるようになりました。

他の多くのライン川流域の城と同様にネコ城も17世紀以降の度重なる戦争で破壊と修復を繰り返しましたが、最終的には西暦1998年に修復が完了し、現在の姿となっています。

お役立ち情報

こちらではライン渓谷中流上部観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ラインクルーズ

ライン川には数多くのクルーズ船が就航しています。

ほとんどのクルーズ船はライン渓谷中流上部を通るのですが、なかでも一番人気があるのはリューデスハイムからコヴレンツまでのコースです。

リューデスハイムへはフランクフルトから電車を利用して約1時間で行くことが出来ます。

リューデスハイムとコヴレンツの間は2時間弱の船旅となっています。

この船旅の間には川沿いの古城やローレライ、ドイツの角などライン川の中でも特に見どころとなるスポットが含まれています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにライン渓谷中流上部に興味を持って頂けたなら幸いです。

ライン川クルーズはドイツの中でも人気のあるアクティビティで、ヨーロッパだけではなく世界中から多くの観光客がこれを目当てにライン川を訪れます。

この地域はドイツでも最も古くから人が定着した地域でもあり、まさにドイツ民族にとってのふるさとともいえる場所なのです。

歴史的にも文化的にもドイツらしい景色を楽しめると思いますので、ドイツにご旅行の際には是非ライン川渓谷中流上部へも足をお運びください!